木更津駐屯地航空際

木更津駐屯地航空際
2019年12月8日木更津駐屯地航空際にて撮影

2011年4月17日日曜日

現代の修験道 読了


現代の修験道 読了
正木晃/著 中央公論新社/刊 20110210初版1900円
 修験道と云うと水木しげるが雑誌「怪」に掲載した役行者とか蔵王権現の話くらいしか知りません。イメージ的で云うと「勧進帳」。黒澤明監督、大河内伝次郎が弁慶の「虎の尾を踏む男達」とか。司馬遼太郎の中に出てくる日本では空海を祖とする「真密」に対する、空海以前から存在する土着と外来の融合した「雑密」側に山岳宗教が多大に影響しているくらいでしょうか。映画「剱岳」に見られるように、日本の登山道を開発してきたのは修験者達であったのは間違いないと思われます。修験者に限らず山中は生活の場であり、平地に比べれば行き交う人も少ないかもしれませんが、人が居ないわけではありませんでした。ただ動植物の少ない深山幽谷の山頂付近に生活する為に出向く必要は無く、それでも人跡があるのは登山と云うスポーツ感覚と宗教的法悦の集合ではないかと考えられます。南北朝時代の南朝側の繋がりを見ていくと吉野を中心に、天狗伝説や各地の登山(尾根)ルートと重なることがままあります。現在の鎌倉市をぐるりと囲む尾根伝いのハイキングコースとか、なんでこんな山頂に籠ったのだろうかと頭を捻る福島県の霊山等など。無論北朝側でも同じルートを経由しているのも間違いないでしょう。これらの“道”が戦国時代には情報伝達に組織化専門化された「忍者」へと繋がるのであれば、忍者が印を結ぶのも当然と考えられます。
 本書を読んで明治の廃仏毀釈時に修験道も廃絶した事を始めて知りました。本書を拙者的に読み解くと明治政府により蒙昧迷信的修験道など不要とされ廃絶させられたように考えましたが、知人により、時の明治政府は神仏分離令を出しただけであったが、神仏を同じものとして千年に渡り拝んできた人々がいきなり分離させろと云われて混乱した挙句辞めてしまったのではないか、と云う説を聞くことが出来ました。果てさて?
 本書においては、修験道の現在と過去を平易に解説し、またブータンにおけるチベット仏教等を紹介し、21世紀に人と自然の繋がり、すなわち「草木国土悉皆成仏」の思想を体系的に体験実現昇華するには「修験道」が最適との立場をとっています。
 拙者が本書を手にした直接の切っ掛けは、「千と千尋の物語」「アバター」に言及されていたからです。現在世界を席巻しているポスト一神教としての仏教。しかも地球環境や自然保護の観点を仏教そのものに求めることは難しく、日本で独自に発展してきた土着のアニミズムと融合した「修験道」が近しいとの事。
 極論として「心の救済」はマルクスやその他モロモロの“経済学”や“心理学”と云った「仮説→実験→実証」型の現代科学ではカバーしきれず、経験則に基いた従来の宗教に頼らざるをえない現実があります。昔に比べれば需要も減ったでしょうが、現在もまた「拝み屋」がいる事実が、現代の医学心理学から零れている人々が多数存在している事を示しています。ひな祭りでお雛様を飾るのもこいのぼりを立てるのも民俗風俗行事でありかつ宗教行事でもあります。人々の生活と宗教は分かちがたく存在し、同じ文化圏の人々の思考に影響を及ぼしています。我々の文化の基層の一つとしての「修験道」を知るには面白い本かもしれません。

 内容(「BOOK」データベースより):誰でも参加可能で、実践を重んじ、心身ともに鍛えられ、自然をいつくしみ、総合的かつ包括的で、女性にもオープン。さまざまな長所を兼ね備えた、「古くて新しい」宗教へのいざない。
 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 正木 晃:1953年、神奈川県に生まれる。筑波大学大学院博士課程修了。国際日本文化研究センター客員助教授、中京女子大学助教授、白鳳女子短期大学助教授、純真短期大学教授などを経て、慶應義塾大学文学部および立正大学仏教学部非常勤講師。専攻は宗教学(チベット密教、日本密教)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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