木更津駐屯地航空際

木更津駐屯地航空際
2019年12月8日木更津駐屯地航空際にて撮影

2010年6月25日金曜日

この命、義に捧ぐ 読了

この命、義に捧ぐ 読了
[[attached(1,left)]]~台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡~ 門田隆将/著 集英社/刊 20100430第1刷1600円
 平成も二十年が経ち、小学生が“昭和時代の暮らしの本はありませんか?”と図書館へ調べ学習に来る昨今、昭和に生きていた人々には当たり前だった事跡も歴史の中に埋没しようとしています。TV番組等でも海外に雄飛した日本人を紹介したりしていますが、特に軍事浪漫に憧れる人々に紹介したいのがこの「この命、義に捧ぐ」です。
 中国残留孤児等で第二次大戦終戦直後の大陸で日本人達が命からがら逃げ出し、日本に辿り着く前に多くの人命が失われ、最強を誇っていた満州駐留の関東軍も文字通り張子の虎の体で民間人を放り出しソ連の軍門に下り、民間人と兵士の大半がシベリアに連れて行かれました。しかし満州の隣内蒙古では根本博司令官の判断で、天皇の玉音放送後もソ連軍との徹底抗戦により民間人を守り軍を率いて北京まで撤退するという難事業を、エルファシルの英雄と云っても過言では無い足跡を残しています。これだけで一冊の本が出来るのでは無いかと思うけれど、話は蒋介石率いる国民党軍が毛沢東の共産軍に追いつめられ台湾を守りきれるかどうかの瀬戸際に、蒋介石のもとに駆けつける根本博へと続きます。根本は北京まで撤退した時、蒋介石の国民党軍に降伏していました。蒋介石は多分に戦略的見地からだろうけど日本人と日本軍に温情を持って接しています。その時の恩に報いるべく根本は台湾へ渡る。根本を送り出す側にも台湾への絶ち難い想いを抱いた幾人もの日本人達と旧台湾領人達の願いが込められていた。台湾が共産軍に蹂躙されるかどうかの絶対防衛ラインは金門島。刻一刻と上陸作戦が遂行されようとしていた。
 金門島の激戦を知って、戦史を調べようとしましたが、残念ながら日本国内では通り一辺の歴史的記述としてしか調べられませんでした。この本が国内では一番詳しい金門島の中華民国軍と中華人民共和国軍との戦いを描いた書籍だと思います。ただし著者門田隆将は軍事系ライターではないし、主眼も人物史にあるので、戦史としては残念ながら詳しい内容ではありません。しかしルポライトという点においてはとても読みやすく、心打つ内容が盛り沢山あり、少々著者の感情が筆圧を強くしている部分もありますが、面白い本に仕上がっていると思います。『MC・あくしず』あたりで特集してくれるとありがたいのですが。
 内容紹介;1949(昭和24)年6月、九州・延岡の海岸から小さな漁船が夜陰にまぎれて静かに離れていった。船が目指すのは、真っ黒な海原のはるか彼方にある台湾。その船には、日本陸軍の元・北支那方面軍司令官、根本博中将が乗っていた。傍らには、「俺の骨を拾え」と言われて随行を命じられた通訳が一人。この時、蒋介石率いる中国国民党と毛沢東率いる中国共産党との「国共内戦」が、まさに決着を迎えようとしていた。共産軍の攻勢によって、大陸から撤退し、いよいよ金門島まで追い込まれた蒋介石。根本は蒋介石を助けるために「密航」を敢行したのである。「義には義をもって返す」。根本には、終戦時、蒋介石に言葉では表せぬほどの恩義があった。昭和20年8月15日、終戦の詔勅が下された時、根本は駐蒙軍司令官として、内蒙古の張家口にいた。陛下の武装解除命令は、アジア各地で戦う全軍に指令され、ただちに実行に移された。満州全土を守っていた関東軍も山田乙三司令官がこの武装解除命令に応じ、そのため全満州で関東軍の庇護を失った邦人が、虐殺、レイプ、掠奪……等々、あらゆる苦難に直面することになる。しかし、満州に隣接する内蒙古では、根本司令官による「武装解除命令には従わない。責任は私一人にある。全軍は命に代えても邦人を守り抜け」という絶対命令によって、激戦の末、4万人もの邦人が、ソ連軍の蛮行から守られ、北京、そして内地まで奇跡的な脱出・帰還に成功する。ソ連軍だけでなく共産軍の圧迫をも凌いで「4万人の脱出」が成功した時、これを戦勝国側で守ってくれたのが、蒋介石率いる国民政府軍にほかならなかった。根本中将に、その「恩義」はどう映ったのか。密航の途中、座礁や船の故障で、九死に一生を得ながら、根本は台湾に辿り着く。感激した蒋介石から根本は「林保源」という中国名を与えられ、金門島に赴く。そして、林保源将軍こと根本博は次々に作戦を立案し、押し寄せる共産軍に立ち向かった――。「台湾」と「台湾海峡」は誰によって守られ、なぜ今も存在しているのか。本書は、その謎に挑み、「義」のために生きた一人の日本人と、国境を越えてそれを支えた人たちの姿を「現代」に蘇らせたスクープ歴史ノンフィクションである。
 内容(「BOOK」データベースより):在留邦人4万人、無事日本に帰還!その恩義を返すため、将軍は、漁船で台湾へ向かった…。60年の歳月を経て今、明かされる日本人司令官の知られざる生涯。(アマゾンより引用)


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