福島県立博物館「ふくしま藁の文化」展を見てきました
12月12日土曜日に出かけていきました。午前中の天候は快晴で、地元の知人からは昨日まで悪天候が続いていたんだよと云われても、安達太良山や磐梯山に雪が見える程度で関東地方と変わりないように見えましたが、福島県立博物館の軒下には雪が残っており、会津はもう冬なんだと実感しました。会津若松城の隣、縄張りの三の丸に建つ福島県立博物館で開催中の「ふくしま藁の文化」展を見てきました。
かつての日本は稲と共に生きてきたと云うか、まるで牧畜見たいに動物に寄生している如く、稲に寄生して生きているとも云う生活でした。だから一番身近にあった材料が藁と云っても過言ではないでせう。藁を着て、藁を履いて、藁で寝て、藁で結んで。でもその文化も最早廃れてしまいました。博物館で陳
列されているのが良い例。身近に溢れている間は博物館に陳列されないんです。陳列されたと云うことは過ぎ去ってしまった物だと云うことでせう。今回は藁を素材に作られた厄除け人形を主眼にして、福島県のみならず、福島県周辺も含めての展示になっています。
いつぐらいからこれらの習俗が続いてきたのか。恐らく文献資料は残っていないので推測になるのでせうが、拙者的には習俗的には
長く続いてきたかもしれませんが、これら展示されているデザインになったのは意外と新しく、昭和とか大正頃であってもおかしくないでせう。日本の場合古くから続いていると云っても2パターンの意味があって、法隆寺みたいに同じ素材・建物が延々と続いている場合と、伊勢神宮のように何十年か毎に作り直されている場合があります。後者の場合作り直される度にデザインが少しずつ変化していけば最初に作られていたものとは似ても似つかない物に変わってしまいます。それでも継続している習俗としての意味はあるので、何処に視点を置くのか、何に価値を持つのかが大事になると思われます。
もはや文化としての「藁」道具は形骸化してしまうの
は時代の趨勢として仕方がないとは云え、いざ震災だ災害だと云った時に役に立つのは、受け継がれてきた知恵ではないかとも考えているので、生活から生み出されてきた知恵や技術を継承していく意味はあると思っています。 日本の場合古くから続いていると云っても2パターンの意味があって、法隆寺みたいに同じ素材・建物が延々と続いている場合と、伊勢神宮のように何十年か毎に作り直されている場合があります。後者の場合作り直される度にデザインが少しずつ変化していけば最初に作られていたものとは似ても似つかない物に変わってしまいます。それでも継続している習俗としての意味はあるので、何処に視点を置くのか、何に価値を持つのかが大事になると思われます。もはや文化としての「藁」道具は形骸化してしまうのは時代の趨勢として仕方がないとは云え、いざ震災だ災害だと云った時に役に立つのは、受け継がれてきた知恵ではないかとも考えているので、生活から生み出されてきた知恵や技術を継承していく意味はあると思っています。
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