山本五十六記念館へ行ってきました
新潟空港で昼食を食べたのち、相方の希望で長岡市の「山本五十六記念館」へと行く。新潟市から結構遠くて疲れた。とは云え拙者は助手席に乗っていただけだが。
長岡市は2度目。ただし前回は駅からは出なかった。だから街中を歩いたのは初めて。街中も今やいい感じにゴーストタウン化しており、廃墟好きにはたまらなりロケーションとなっている。特に融雪の為か町中が赤錆びており、まるで銀河鉄道999とかに出てく
る錆に覆われた街を彷彿させるSF的なシチュエーションになっているのが素晴らしい。そんな街中にある「山本五十六記念館」。世が世ならば国立施設が建っていてもおかしくないけど、河井継之助が官軍に恭順しないことにより城もろとも長岡城下が灰塵と化したように、山本五十六が真珠湾攻撃をおっぱじめてしまった為に国土が灰塵と化し、双方忠義によって自分の所属するコミュニティに結果として引導を渡してしまったという点は、歴史の皮肉とも云えるかもしれない。そして山本五十六が生み出した空母機動艦隊は、いまや米国のお家芸として世界に君臨している事もまた皮肉と云えば皮肉だろう。
さて記念館。
フロア一つ分の展示室の真ん中に、山本長官最後の座上機となった一式陸攻の残骸の一部が飾ってあり、入口を除いた3壁が展示ケースとなっており手紙や書、写真が展示してあった。
昔の人は書が上手いけど、山本五十六も無茶苦茶上手いなぁ。
何が書いてあるのかは分からなかったが。
やってみせ云って聞かせてさせてみて、のオリジナルを見る事が出来るかと思ったのだが、何も展示されていなかったし、グッズにもなっていなかった。
記念館からワンブロック離れた場所に山本五十六復元生家がある。現在は「山本元帥誕生地記念公園」となっている。
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