アーニャは、きっと来る 観了
アーニャは、きっと来る 観了
劇場で観劇。原題と微妙なニュアンスが違うような気がする。
原作小説は未読。
ジャン・レノが好々爺としてる。
ピレネー山脈のフランス側の麓なのに英語を話しているのが、なんとも違和感を感じる。英語ではないと売れないからなのだろう。結局ユダヤ資本で作ったハリウッド映画でしかなかったと云う事か。定期的に反ナチスのユダヤ賛歌映画が作られるよね。知的障碍者の結末もナチスを悪者にせんがための演出にしか見えなかった。カツカツの食料事情で村人だけで冬を越すのもやっとなのにドイツ軍が進駐してきてさあ大変ごくつぶしに食わせる飯なんて無いんだ、みたいな演出が入れば全然違う印象になったことだろう。
ユダヤ人を救った功績として、ぜひともゴールデンブックに東条英機の名を記載してもらいたいものだ。
ラストシーンで少年(青年?)をドイツ軍人が撃ったわけだが、映画で描く意味がいまひとつわからん。ドイツ軍人の非道を訴えようとしたならばお門違いもいいところであり、銃を人に向ければ、罪を犯しているのは銃を向けている方だ。しかも実弾が込められていたわけだし。村としては、厄介払いが出来たという空気が生まれ、それに対し主人公が憤慨するならばストーリーとして理解できるのだが。
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