フォト・ルポルタージュ 福島「復興」に奪われる村 読了
豊田直巳/著 岩波書店/刊 20190305第1刷840円 岩波ブックレット994
かつて司馬遼太郎が昭和史を書こうとすると怒りのあまり筆を進めることが出来ないととか書かれていたが、本書を読んで司馬遼太郎の気持ちを推測することが出来た。
読んでっとゴセ焼けて仕方ねェ。
避難をなかなかしない人を関東に住む職場の同僚は、ゴネてたかっている、と云った。
拙者の同僚の発言は、おそらく現在の日本の総意と云って良いだろう。そんな中で手厚い「復興」や「援助」を期待できるものではない。
百姓は土地に寄って生かされている。そしてサラリーマンは百姓の作っているモノを食べて生きているのだが、土地からどうやって作物を作るかまでは知らないらしい。百姓の気持ちがわからないからこその発言だろう。田んぼや畑を工業製品と同じ物と勘違いしているのだろう。土地と簡単に縁を切ることができるサラリーマンであれば、お金さえもらえれば、苦労はするだろうが他の土地へ行って生きる事ができるだろう。しかし、土地を背負って移動することが出来ない以上、百姓は移動することが出来ない。しかも一度放射能汚染された土地は、今の技術では除染は不可能。税金を幾ら投入したところで除染は不可能なのだ。では今までやってきた事は何かと云うと、単なるデモンストレーションでしかない。民心を安ずるためのパフォーマンスにすぎないのだ。その辺の話が詳しく本書に書かれている。
結論から云うと、放射能汚染は拡散するしかない。太平洋へ、地球の大気中へドンドン散らして薄めて行くしかないのだ。現在の科学技術で出来ることはそれだけなのだ。
汚染された物質はどうなるんですかと考える人も多いだろう。
無くなることはない。
希釈されて、我々のセンサーでは感知出来なくするだけ。
だから汚染水や除染土を溜め込まず、太平洋へジャンジャン捨てないといけない。
溜め込めば、溜め込むほど後で取り返しがつかないことになる、究極の借金と云えるだろう。しかし今の日本国の民主主義で最善の方法をとる事は先ず不可能だ。出来ることは後世の人類に負債を引き取ってもらうことだろう。
モニタリングポストも今や探すのに苦労するくらいだ。事故直後はいたるところにあったのだが。国の政策で設置され、国の政策で除去されている。普通の生活をするには邪魔なんだろうな。もはや普通の生活は出来ないと云うのに。
結局は、福島はただの実験台だって。そして実験が終わった時に、「やっぱりお前たちダメだったんだよ」って言われるのが一番怖いですよね。(78p)
この一文には心底冷えた。ホラー小説を読んだどころではない恐怖心に背筋が震えた。この文章に至るまでの過程が重要なのだが、それは本書を読んでいただきたい。
何十年後か、何百年後かヒコ(ひ孫)が帰ってきたときに、その村の再生の足跡を残しておくのが、私らの仕事でねえかなって思う。(91p)
なぜか「さよなら銀河鉄道999アンドロメダ終着駅」の老パルチザンの死に際を思い出した。正確には死に際に語るセリフをだ。
よけいなお世話だろうが、話を聞いたのがせめて何年の時だったのか記録として残しておいて欲しかった。
(以下アマゾンより引用)
内容紹介:原発事故で人・地域が負った傷を回復させるはずの「復興」。しかし、その名のもとに、放射能汚染の実態や加害の責任が隠蔽されようとしている。避難区域の解除と帰還推進一辺倒の政策で、住民たちは岐路に立たされている。原発事故直後から現地を取材し続ける著者が、カラー写真とともに住民らの声を伝える好評シリーズ第3弾。
内容(「BOOK」データベースより)福島第一原発事故で人・地域が負った傷を回復させるはずの「復興」。しかし、その名のもとに、放射能汚染の実態や加害の責任が隠蔽され、原発事故への忘却が推し進められている。避難区域の解除と帰還推進一辺倒の政策で岐路に立たされる住民らは、どう抗うのか。私たちはどう連帯していくか。原発事故直後から現地を取材し続ける著者が、カラー写真とともに住民らの声を伝えるシリーズ第3弾。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)豊田/直巳:フォトジャーナリスト。日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)会員。1956年静岡県生まれ。1983年よりパレスチナ取材を開始。中東、アジア、バルカン半島などの紛争地をめぐり、人々の日常を取材している。2011年3月11日に発生した東日本大震災・原発事故の翌日から、福島の現地に入り、取材を開始した。2003年、平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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