ねこめ~わく 7巻 読了
竹本泉/著 朝日新聞社/刊 20110228第1刷580円 ASAHIコミックス
女子高生“村上百合子”は、或る日人語を話し直立した猫達が支配している世界に召喚されてしまう。人類が猫に管理を任せた未来の地球らしく、猫たちは人間の文明を守りながら楽しく暮らしていた。そこへウラシマ効果で数千年後の地球に辿り着いた深宇宙探査パイロット“ヘンリッヒ・マイヤー”が戻ってきて、猫たちは人間が戻ってきたと大喜びだったのだが、ヘンリッヒにしてみれば、やっと故郷に辿り着いてみれば人間は一人も存在せず、猫を相手にヘンリッヒの存在していた時間よりも更に過去の百合子が召喚されるのを、表面的には鬱陶しくも、楽しみにしていた。
掲載誌が変わったり、出版社が変わったり、毀誉褒貶の激しいながらも同じ内容で続いていると云うのは人気の高い証拠なのでしょう。
四苦八苦の無い理想世界で猫と戯れて生きていけるなんて、天国以外の何ものでもありますまい。
ウラシマ効果のウラシマは日本の昔話の浦島太郎に因んだ命名で、帰ってきたら時間が経っていた事に由来しています。浦島太郎の元ネタは昔話にしてはハッキリしており、日本書紀や丹後風土記に掲載された事実伝聞とされています。無論竜宮城へ行ったとか亀を助けたわけではありません。亀が出てくるのは日本書紀の“亀”の記載があるためですが、これは当時の日本人が見た事の無い物体に対し既存の知識に当てはめた結果ではないかと愚考しています。恐らく甲板で密閉された外洋船を“亀”と称したのではないでしょうか。当時の日本人は丸木船とか船底のみのお椀のような船しか作れなかったのだと思います。
竜宮はよく云われる様に朝鮮半島や中国大陸の、当時日本より進んだ文明圏を見て“天国の様な海の向こうの国”であることは想像に難くありません。では、故郷に帰って来た太郎が持っていた“玉手箱”とは何だったのか、いまだこれと云った答えらしきモノはありません。
同じような異界へ行く話しで、時代は下り「遠野物語」とかに“かくれ里”があります。山中に分け入ると立派なお屋敷があり、調度品も素晴らしく、少し滞在していただけなのに里に帰ると何年も時間が過ぎていたと云うストーリーです。帰る時に屋敷内の何かを持ってくると福を授かる事が出来るとも聞きます。
さて、更に江戸時代の「雨月物語」の中に、都で羽振り良く過していた男が故郷の妻の下へ夜帰り着くと、何年もほったらかしにしていたのに歓待してもらい良く出来た妻だと満足して朝目覚めると、家はあばら屋に妻は白骨になっていた話があります。
この三作に共通するのは、主人公が故郷から出かけて帰ってくる話です。現在においても地方から東京に上京すれば、街に刺激も多く楽しく遊べるでしょうし、また身を粉にしてガムシャラに働くにしても、過ぎ行く時間はあっという間です。一息ついて故郷に帰ったときに、自分の過した時間と故郷で流れた時間の差にギャップを感じる事でしょう。ましてや過去においてはどうだったのでしょうか。平安時代まで日本において庶民は都であっても竪穴式住居であったし、江戸中期までは掘立柱が当然でした。国内においても都へ出れば、文化的ギャップに驚いたでしょうし、海外へ出れば更に文化的ギャップがあったことでしょう。そこで注目すべきは遠野物語のかくれ里の何かを得て来る話です。異界へ行ったら何でも良いから手にした物を持って来い、これは三つの例文から考えると、進んだ世界へ行ったときには何がしかの技術や知識を習得して来い、と云う戒めなのではないでしょうか。拙者が子どもの頃かくれ里の話を読んだときに、いくら贈り物だからと解説されていても盗むのは良くあるまいと考えていましたが、技術は盗め、ではありませんが先進的知識を得て来ると考えれば納得できなくはありません。
浦島太郎は無為徒食に遊興に耽り、故郷へ辿り着いた時には身一つで歳をとっていただけの存在となり、雨月物語の中では故郷に錦を飾ったつもりでも待っている人がいなくなってしまった悲しみを表わしたものではないかと考えます。
平安時代や鎌倉時代の日記文学やらを読むと貴族達は当然のこと地方へ中央へ何年も転勤や出張で行き来している描写が出てきます。貴族のお供や一般の武士達も貴族以上に日本各地を移動していたと思われます。そういった移動時の悲喜交々のドラマのエッセンスが昔話として結実したように思われます。
ねこの話からだいぶ逸れてしまいましたが、異界に召喚されるヒロイン百合子の行く末や如何に。うじゃじゃ。
内容紹介:かつては人間がいたのだが、人間たちは世界を進化させた猫にまかせて、どこかに行ってしまった。残された猫たちは、人間の文明をそのまま忠実に守って生活していた。新たな登場人物も加えて新展開の第7巻。
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