白河関跡に行ってみました。
「白河関跡」と云っても少なくとも2箇所ある。江戸時代は五街道の一つ奥州街道に建つ白河藩の南の境を江戸時代には白河関と云っていたようだ。今は「白河関跡」と区別するためか「境の明神」となっている。
平安時代陸奥の国との境になっていたのがここ「白河関跡」らしい。正確な地図なぞ残っていようも無いので断定のしようが無い。江戸時代白河藩の藩主だった松平定信が“ここだッ!”と決めたのが、ここ「白河関跡」になった始まりの経緯だそうだ。詳しくは白河市教育委員会の現地の立て看板を読んで欲しい。
鬱蒼と茂ったとしか思えない森が、ちょっとした丘になっている。
丘の上に白河神社が建つ。
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