「岩槻藩遷喬館」へ辿り着きました
東武野田線岩槻駅から歩いて10分もかからない、幹線道路から入った閑静な住宅街の中に建つかやぶき屋根の家屋が藩校でした。遷喬館は“せんきょうかん”と読むそうです。
ちっちぇえ、と云うの見た瞬間のイメージ。
拙者の藩校のイメージとしては会津の日新館が基準になっています。江戸時代の岩槻藩
は毀誉褒貶が激しく、規模が2万石から11万石の差があります。藩校が出来たのは2万石程度の時代で、しかも始まりは私塾として始まったとか。現存しているのは座学を行うための教場部分のみみたいです。それにしても手狭と云うか、講師の詰め所も一間だけのようです。2万石程度であれば、武士の子弟の人数など多寡が知れいていたのでせう。江戸も近いし、江戸屋敷周辺で学んだ方が良い先生を選べただろうし、より専門分野に進もうとすると総合的な学校は存在しないので、全国各地へ散ってその時代に有名になった師匠へ師事した事と考えられます。岩槻についてはオイオイ。
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